雑感

最近の感じること。あまりに、情報量が多くほとんど敵か味方の意見をいうことばかりだ。仮想敵を作れば、一瞬人生の充実を感じるかもしれないが、きりがないし、自分が疲弊する。そして仮想敵を作り人生を見失った人は、本当に多い。昨日の連合赤軍のTV番組など見ていて強く思った。正義とかを言うことが正しいことかも、しれないが同時にその正しさで人生が狂うことが多い。今、考えれば昔、当然正しいと思ってきたことが、本当に正しかったのか、たんなる洗脳だったかもしれないなと思ったりする。毎日学校に行く、嫌なことでも、まじめにやるとか、嘘をつかないとか、途中で辞めるのは悪いことだとか、先生の言うことはきかないといけないとか。自分に学生時代、自分達の親や祖父母の時代の軍国少年のことを、洗脳されてかわいそうと、思って馬鹿にしていたが、実は、40年前の学生生活も、高度成長期の国に意向に沿った洗脳だったと、今思えば思う。他、結婚しないといけないとか、もろもろ世間の常識というか、そんな洗脳から自由になって今を楽しく快適にする。そして、まずは、生活(お金を稼ぐことなど)は、大切だから、それを第一に考える。(優先する)そのこと以外で何かを賛成が反対だとかは、思わないで今の生活を(特に仕事)をとにかく楽しくやってみる。楽しくないなら、楽しそうにやる、もしくは楽しくなるための工夫をする。例えばマインドフルネスの実践とか。そんなことが、大切だと思った。

雑感

昔から竹村健一が好きだったり、なぜか、その時代のマスコミの論調に反対の人が好きだったりする。なぜかは、よくわからない。思想的に最先端でいたかったのかな。大企業が好きでなかったり、なんか歯車になりたくないなと、思っていたりしていたな。キリスト教に興味を持ったり、これから、どう生きるかとか、思想的な哲学的なことも基本的に好きな方だった。詳しく勉強は、しなかったけれど。今の時代も同じように、煽る人もいる。でも、結局は、それから30年経って、日々の生活、生きること、飯を食べる為働くという単純なことが、実は、すごく大切で、あの頃、バカにしてきた、すべてのことが、本当は、バカにすることではなく、地道に働くがゆえに、歯車にみえたり、かっこ悪くみえたのが、今となっては、逆に、ださかったなと思います。ということで、今日も働こう。

どうでもいい話

どうでもいい話。どんなに、いろいろ思考しても、結局、感情をおさえられない自分が、いる。相手を、いくら分析しても、相手のことでなく、自分が、ずっと、怒りを鎮められないことに、起因するし、いろいろ本を読んだり、考え事したところで、結局怒りが鎮められない。だったら、それでいい。口で、そんな自分を許しますというしか、方法がない。

戦う

嫌な奴とは、会わない。マイナスのエネルギーの持ち主だから、自分もプラスのエネルギーを充電し、勝つ。相手の土俵で、勝負しなければ、勝ち。

例外を、率先して作らない。

例外を率先して作らない。例外的な方法を、人から言われたり、頼まれたりしたとしても、真っ先に、例外対応を考えることは、人生の失敗に、つながる。極力、王道を行くことを、真っ先にに考えることが、大事だと、他人のアドバイスで気づいた。