いじめられている人へ

いじめられている人へ。いじめている人は、悪です。戦うか、耐えるか、逃げるか。まず、知ってほしいのは、誰もいじめられているし、人より劣っている所は、ある。でも、それは、全て、時代や住んでいる場所や家族や周辺環境や年齢でたまたまそうかんじているにすぎないのだと、いうこと。例えば、まばたきが人より早いのが、人間的に優秀という文化の国に生まれたらなら、まばたきが遅いだけで一生馬鹿にされ、いつも死にたいと思うかもしれない。だったら、逃げてもいいし、馬鹿にしたやつを殺そうと戦って死んでもいいし、耐えながら、まばたきが、遅いことで、生き抜くことでこれから生まれる人の為にもまばたきが遅いことは、何も劣ったことでない人を差別してはいけないという生きた見本になってもいい。すべては、あなたが今まで生きたことは、素晴らしいことだし、どういう選択しても素晴らしい選択だ。ただ自分は、劣っていると落ち込ない方がいい。例えば、勉強も運動も容姿とかで人を馬鹿にしたりするのは今の時代だからで100年前なら、それで馬鹿にされたりそれで落ち込むような人は、一人もいなかったのだから。また、逃げたら、耐えるのは、恥ずかしいことでない。今、日本が、内戦なら、留まるのも、逃げるのが、恥ずかしいことでないように、理不尽だけど、たまたま嫌なことに巻き込まれた時は、どんなことを、してもいい。何も恥ずかしいことはない。むしろ、過去多くの人間が国外との戦争、国内の内戦とかから、生きのびたようにあらゆる方法を使って、逃げても生き延びてほしい。今シリアの人は、恥ずかしいとか、考えることなしに、ただただ今を生きて逃げたり留まったりしている。親も先生も助けてくれない。自分自身だけの内戦状態だから。相手を殺すか登校拒否か出社拒否か、縁を切るとか、なんでもいいから、生きてくれ。